花見といえば梅だったの?

徒然日記

こんにちは。新潟県小千谷市の高見石材です。久しぶりの投稿となりました。10年に一度の寒波が襲来している日本列島。小千谷市も強風で雪が吹き飛ばされる、極寒な天気です。

こんなに寒い中ですが、立春(2月4日)を過ぎると、寒さが続く中にしても少しづつ春の気配が感じられるようになってくるといわれています。梅の花の開花が聞かれると、桜が咲くまであと少し。お花見を心待ちにしている人も多いのではないでしょうか。

桜は富士山とともに日本の象徴ともされ、日本人に愛されてきました。私どもの仕事でも、お墓に桜の花の彫刻を彫りたいというご要望をよくいただきます。お墓のデザインにまで登場するほど日本人になじみ深い桜ですが、時代を遡ってみると元々は、お花見といえば梅を見ることだったどうです。

その昔、梅は奈良時代に中国から伝わったといわれ、当時編集された『万葉集』でも桜より梅を詠んだ歌が多く見られます。梅を詠んだ歌が約100首前後あるのに対し、桜を詠んだ歌およそその3分の1くらいだそうです。

当時の貴族の優雅な風習といえば『歌を詠む事』でした。外国産の花ということで、梅を愛でることが当時の流行だったのかもしれませんね。中国からやってきた梅を見ながら、歌を詠む会を開く。これが現在の花見の原型になったといわれています。

日本に自生していた桜の人気が高まったのは平安時代以降のこと。江戸時代には上野や飛鳥山、向島、御殿山に桜が植えられ、桜の下で飲食を楽しむ、今のようなお花見が盛んに行われるようになりました。可憐な梅に、はなやかな桜。お花見の対象がどちらであっても、春を待ち焦がれ、その開花を心待ちにする気持ちはいつの時代も変わらないものですね。

関連記事